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泉に耳を傾ける。

2013.04.27 18:34|海っ
海2012-2



♪ Oscar Peterson - Georgia on my mind

昨年の夏に、画家・東山 魁夷のエッセイ集「泉に聴く」を古本屋で見つけて
購入したのですが、読み終えてしまうのがもったいなくて(?)、時々、
ちびちびと読んでます。
序文も、時代と人々と自分自身を見つめているようなものでとても良いです。

*写真は昨年撮ったもの。



曠原を鳥が渡る。後から後からと、鳥の群れが渡る。
あるいは、五、六羽連れ立っていたり、一列に並んでいる時もある。しかし、
なんと、多くの鳥の群れだろう―――。
啼き交わし、睦み合い、励まし、また、憎しみ、闘い、傷つけ合う。病み疲れ、
老い衰えて、群れから離れ落ちる鳥もある。
曠原を、今日も鳥の群れは渡る。

時には陽にきらめいて小川が流れる緑の野が見える。赤い木の実が葉陰から覗く
林も過ぎる。以前はそんな場所が多かった。今では見渡す限り荒野になってしまった。
それでも鳥の群れは、昨日も、今日も、明日も、絶え間なく飛び続けねばならない。
どの鳥も自分の意思で飛んでいるとは思えない。なぜ、飛ばなければならないのか、
また、何処へ行くのかは、誰にも分からない。群れを指導している鳥にも、それは、
分からない。

なぜ、こんなに、早く飛ばなければならないのか、なぜ、もっと、ゆっくり飛べないのか。
あわただしく時が過ぎ去って行くと、鳥は思っている。時は無限であり、不動であり、
過ぎ去ってゆくのは鳥自身であることに気づかない。何かに憑かれているかのように、強く、
早く羽ばたこうとあせる。それが鳥自身がこの地上から、より早く消え去る不幸を招くことに
気づかない。
より早く、より強く、羽ばたきの音を響かせて鳥は渡る。





森の中に、ひそやかな音を立てて、澄んだ水を流し続けている泉がある。そこには、束の間の
憩いがある。それが僅かなひとときのやすらいであるとしても、荒野を飛び続ける鳥には救いである。
地上に生きる者にとっては一日は一日で終わりであり、明日は新しい生であるからだ。
泉のほとりに、羽を休めて、心を静かにして、泉の語る言葉に耳を傾けるがよい。泉は、飛ぶべき
方向を教えてくれるのではないだろうか。

深い地の底から湧き出して、絶え間なく水を流し続けている泉は、遠い昔から、この地上に生き、
栄え、滅びたものたちの姿を見てきた。だから、鳥たちの飛ぶべき方向を、たしかに知っている。
泉の澄み切った水に、姿を映してみるがよい。そこに疲れ果てた己の姿を見ることだろう。そして、
その泉を、いつ、どこにでも見出し得るということは困難である。早く飛ぶことだけに気を奪われている
からである。鳥たちの最も大きな不幸は、早く飛ぶことが進歩であり、地上の全ては、自分達のために在る
と思い違えていることである。
さて、このまま飛び続ければ、鳥の群れも滅びてしまうのではないかと、ようやく鳥自身も気が付いて
来たようである。それが、遅すぎたのでなければ幸いであるが―――。





私もこの鳥の一羽であり、人はすべて荒廃と不毛の曠野の上を飛び続ける鳥である。
誰の心の中にも泉があるが、日常の煩忙の中にその音は消し去られている。もし、
夜半、ふと目覚めた時に、深いところから、かすかな音が響いてくれば、それは
泉のささやく声にちがいない。
今迄、経てきた道を振り返っても、私は曠野に道を見失う時が多かった。そんな時、
心の泉の音に耳を澄ますと、それが道しるべになった場合が少なくない。

泉はいつも、
「おまえは、人にも、おまえ自身にも誠実であったか」と、問いかけてくる。
私は答に窮し、心に痛みを感じ、だまって頭を下げる。
私にとって絵を描くということは、誠実に生きたいと願う心の祈りであろう。
謙虚であれ。素朴であれ。独善と偏執を棄てよ、と泉はいう。
自己を無にして、はじめて、真実は見えると、私は泉から教わった。
自己を無にすることは困難であり、不可能とさえ私には思われるが、
美はそこにのみ在ると、泉は低いがはっきりした声で私に語る。

                                (昭和四十七年)




ちょっと悲観的な面もあるだろうか?とも思ってしまいますが、40年前にこんな事を書いていた
というのは驚きです。きっと進歩にというものに殆どの人がうかれていた時代
だったんじゃないだろうかと。で、進歩という名のもとに画家が美しいと感じていた
風景もどんどん壊されていく現実にいたんだろうと。


数年前に東山 魁夷の回顧展を観にいったのですが、画集ではなく実物を見てみて、
なんというか、どうしてここまで出来るのかと疑問に思ったことがありました。
彼の描いている時の心の動きのようなものを考えてみたのですが、私には分かりませんでした。
ただ、静かに黙々と絵を描いている後姿しか思い浮かびません。
でも、「誠実」という言葉で東山 魁夷の作品を読み解いていくと、どうしても分から
なかった、疑問に思っていた部分が、なんとなく分かりました。

私にとっては、東山 魁夷という画家が、泉という役わりをしているように感じてしまいます。


泉に聴く
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テーマ:海のある風景
ジャンル:写真

Comment

喜んでいただけて嬉しいです♪

確かに時代を透視する力というものは
物凄いものがあります。
変わりゆく時代に危機感を覚えて、
京都の風景も残していますし。

私はこれを読んでいる時に、共感もしたのですが、
早く、強く、高く飛びたいと焦っている自分に「飛ぶ
ということは、鳥に宿命付けられたことであり、そんなに
焦って飛ばなくても良いんだよ。小川が流れる緑の野や、
赤い木の実が葉陰から覗く林を、存分に楽しみながら飛びなさい。」
と言われているように感じました。(=^ェ^=)

No title

私は、画家ということしか知りませんでした。
内面からほとばしるエネルギーは、不確かな現代の世を
透視していたのでしょうか。

人間がダメになっていくのでは…と。
自然界に耳を傾けて、心のありようを問いたださなければと
ふと思うこともあるのです。


心に響くエッセイの紹介を
ありがとう♪

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散歩しながら写真を撮ってます。ほとんどが近所で撮ったものです。
遠く離れたところに行かなくても、身近な生活の中に、探し出せば美しい光景がある…という事を知ってほしいからです。
どんな地域に住んでいても、カメラの眼があれば発見する楽しさがあります。

長い間患っていた脳脊髄液減少症は、ほぼ治って元の状態に戻ってきました。
髄液漏れが治っても、症状が残っている…という方もおられるとは思いますが、諦めずにいきましょう。
(*´ω`*)

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